June 21, 2006

アポトーシス

「アポトーシス (apoptosis) とは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺のこと。(Wikipedia−アポトーシスより)」


オリジナル・ラヴのAl.『ビッグクランチ』に「アポトーシス」という歌があるんだけどね。
急なことではないのだけど、改めてアポトーシスについて考えてみた。若葉萌える季節だからかね、生命の不思議ってのに時々憑りつかれるんだな。


アポトーシス。計画的細胞死。<積極的自死>。
逆の言葉が「ネクローシス(壊死)」、これは細胞が傷付いたり環境が悪化して死んでしまうこと。
ヒトの体の中では、生きている時は細胞がアポトーシスを起こし、ヒト自体の死はネクローシスなのだね。

アポトーシスは生命を繋ぐためにある。
細胞たちが命のバトンを渡して役割を引き継いでいく、生命のリレーみたいだね。
なんかすごいなぁ、よくできてるなぁ、としみじみ思う。
ヒトの体を構成する細胞はとっても小さい。
ヒトの体は細胞の集まりで、細胞たちは各所で小さな命を燃やしている。自分の為すべき事を全うする。それが我々の命なのだ。小さい命の集まりが生物なのだ。

大きな話になるけど、地球を構成してるのは、多くの生物だよね。
地球をヒトに見立てると、生物が細胞になる。
ヒトもある1つのパーツと考えてはどうだろうか?
個体のヒトは確実に死ぬが、『ヒト』というパーツは延々と受け継がれている。ヒトが死んで、ヒトが産まれて、長きに渡っていろんなものを受け継いでいる。それぞれの道をひたすら歩んで人生を全うする。点が連なって線を形成する。

個体のヒトの物理的な死自体は<積極的自死>でないが、ヒトが死ぬということは、自然の摂理の中では間違いなく『計画的な死』ではないだろうか。
絶対死ぬ。頑張っても、結局死ぬ。どんな原因でも死ぬように出来てる。それには抗えない。
自然が仕組んだこと。生まれて、死ぬ。計画的じゃない?

ヒトは1人で勝手に生きて勝手に死ぬ、単独の生命と思っているが、生命の連鎖の1つだと思ってみてはどうだろうか。
ヒトの生と死を自然の内の1つの現象と捉え、遠くの未来の為の『アポトーシス』と思うと、大袈裟だけど、産まれ落ちた時点で自分にも何かしらの意味がある、ような気がする。
というか、ただ生きていることに意味があるようにすら思う。

どんなに後ろ向きに生きてても、生物の永い歴史の上では生命は常に前向きなのだヨ。

都合いいですかね?


◆参考:細胞の生死を制御する
(計画細胞死・アポトーシスに関する日本初(1997)のホームページ。)
Posted by route623 at 08:40 P | from category: 徒然日記 | TrackBacks
Comments

ミタムラ:

都合いいなんてことないよー。

最高に前向きの素晴らしい考えさね♪

自分が生きているだけで、意味があると感じれたら幸せだいなぁw
(June 22, 2006 11:38 P)
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