May 25, 2006

生きる才能まるで無し

最近つくづく思うね。
生きる才能、まるっきる無いね。
けど生きてるってのは、意外と強かだな。

以前、

「私はむっちゃんみたいに自信もって生きてないもん」

といわれた事がある。
自信?なんじゃそりゃ。



子供の頃は親には通知表の短所に自信過剰と書かれていたけど、それは世間知らずの子供だから---むしろ素直だったからだ。だって、自分の見えてる社会が世界の全てで、そこでうまくいってりゃ自分の人生の全てがうまくいくものだと思うのは当たり前だ。器用で、信用があって、だから「むっちゃんだから」で話が通る世界。それなりにうまく切り抜けられてしまうのだから、それが人に対して良く作用することもあれば、悪く作用する事もある。
そこで持ってたものは、経験値はないのに、この世界の中では自分は何でもできる、という『空自信』だ。

それが、だ。
だんだん知る事が増えて、社会が広くなって、自分の見える所よりずっと世界が広がっている事を知る。相対的に自分が小さくなっていく。自分が大した事ないのがはっきりわかる。
その広さが分からず、何を基準に自分の位置を見極めて良いのか未だにわからない。本当は、考え方は今までで合ってたのかもしれない。現状の社会の中で生きていればそれでいいのかもしれないけど、その感覚すらわからなくなっている。それが『迷い』ってやつだろう。
空っぽの自信は脆く崩れた。
自分を支えてきた『万能感』は虚だったと知った。
自分には何にもない。慕われる価値がない。

自信……胸張って人に誇れるものなんて何一つない。料理ができる。しかしプロの料理人にはかなわない。絵が描ける。描く事は時間さえかければ誰でもできる。歌は得意だった。歌うだけなら誰でも歌える。何も無い。だからせめて人に不愉快な思いをさせないようにしよう、邪魔をしないようにしよう、と思う。
けど、今できる事はそれなりに一生懸命やって経験して得たものだから、それまで否定することは無い。今自分にあるもの、それは自分の価値である。それが自分のいう『自信』だ。
できる事をできると言って何が悪い?…とまでは言わないが、誰かと比べてではなく、「自分自身の価値」は認めないと。それが人からみて価値があるかは別としても。


で、「自信ないもん」といった人。
それは自分と他人と比べてるから無いといったのだろうが、
じゃぁ、自信を持つために頑張ったのかい?
自分が納得するまで何かをやった事があるのかい?
人の何十倍も時間がかかったって、やり抜いたらその分の経験値を得るもんだけど、おざなりに生きてりゃ、そりゃ自分を蔑むよ。空っぽなんだから。
でも、そこで空っぽって気が付いたならラッキーだよ。空の器にこれから何かを注げば良いから。

別に自分は世の中に対して自信満々で生きているわけじゃない。
世界は広すぎて、目印も見つけられなくて位置が判らずいつも目が回っている。けど、今居る位置が全世界の何処か判らなくても、周りの風景ぐらいは目で見りゃわかる。
だからこそ、せめて自分が何ができるか、何を考えてるかぐらいは判ってないと急場を凌ぐ一歩すら進めない。そのぐらいの責任は果たしたい。

とかいってさ、荒野に独りみたいなこというけど、そういう彷徨い人がたくさん居てあっちこっち尋ねながら歩くのが人生ってやつじゃないかね。
生きる才能がない、っていうのは、社会を形成する能力がないってことだな。自分本位でしか物事を捉えられないから。だから迷うんだな。

もうちょっと人の事考えられると思ってたんだけどなぁ……。
Posted by route623 at 02:12 P | from category: 人生挽歌 | TrackBacks
Comments

ミタムラ:

今、正にからっぽの器に
決心したことを注いでおります。

どんな小さなことであれ…自分が
納得できるように、微弱ながら
進んでみています。

目標も立ててみたけど、結果が
どうなるかは解りません。

お互いがんばろーね☆
(May 26, 2006 01:19 P)
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