May 02, 2006

人の所為にしたらいかん。

このあいだの大人呑みでハッとなった。

家族を背負う、は言い過ぎだが、
家はいい加減オトナの集団だから必要経費を分担ぐらいはするのだ。
で、今の自分の経済状況に対する負担の割合は大きい。
しかし現状はそうすることで合意したので「やーめた」とは言うまい。




人情的に、これ以上我が家の実質的な家長(親ではない)に負担を強いるのは酷だな、と思うのである。
今でさえそれなりにぶら下がっているのだから、身勝手に親を押し付けていくことはできないし、したくない、と思うのである。
家を出ようと思うなら、少なからず現状の負担を維持して自分の生活を支える経済的状況を整えるべきだ。

これは家族としての責任の一端だと思っていた。

しかし、角度を変えると、『人の所為』だというのだ。
これは新しい価値観……というか、まぁ、それなりの月収を得ていないから自立した生活ができない、というのは往々にしてある。それは人ではなく、まぎれもなく自分の所為。
人の所為、人の所為。。。
自由にできないのを家族の所為にしている、と。
わかるようなわからないような理屈……。
人に負担を強いてまで我を徹さねばならんほどの強い情熱も決意がない、要するに甘えは自分にあって、人の所為というのは、うーん。そうなのかなぁ。そうかもなぁ、と朧げに思う。


話はそれるが、
例えば格闘技をやってて相手より自分が確実に強いとしよう。
こそで「戦うと相手を怪我させちゃうからやらない」
というのは、思いやりか。
むしろ失礼な話で、それこそ傲慢なことである。
同じ志を有するものとして、全力で相対するのが『礼儀』だと思う。
格闘技やスポーツは目標は勝つこともしれないけど、勝負の本質は真剣に相対することでお互いを高めることにあるのではないか。強い人に学び、僅差の実力の相手と切磋琢磨し、後身に受け継ぐという精神ではないかしら、と思うのだね。


で、話は戻って、それとこれを一緒にするのはどうかと思うけど、下手な同情はかえって失礼なのだ、というふうに思えば、『人の所為』も理解できる。

でもさ、同じ“板の上”っていうか、同じ志あっての話でしょ。
そうじゃなかったら、ただの逃げだとか、卑怯だとか言うのよね。

ということで、人の所為であろう、自分の所為であろう、我が家としては状況が見合ってない、ということでこの問題は始末するのである。
とりあえず、今しのげているから、その先のことはその時に。
Posted by route623 at 10:44 P | from category: 人生挽歌 | TrackBacks
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